久々のサックスレッスン
昨年の12月末にレッスンに行って以来、久しぶりのレッスン。
昨夜、職場の副理事長宅で飲み会。とても楽しい会だった。
広島駅まで送って貰い、宮内串戸で下車の予定だった。
五日市駅までは目覚めていたが、いつの間にか眠っていて、気づいたら大竹駅。
下車。それが最終だったので引き返す列車はもういなかった。タクシーで帰る。
8千円也。昨年も確か大竹からタクシーで帰ったからこれで二回目。
それで今朝は二日酔い。体調は悪い。
12時に少し遅れて師匠宅に到着。
デクスター・ゴードンのアワーマン・イン・パリを聞く。
1950年~1960年代のアメリカはジャズ不況と言える時代。
黒人にとって人種差別の激しいアメリカで、ジャズという一つの芸術を作り上げた”(才能ある)黒人”を認めたくなかったのだろう。
白人の差別の影響で、自由な芸術の国(とは言っても裏では人種差別はある)
フランスに多くの黒人ジャズメンが移っていった。
彼らはそこで少なくとも表向きの差別は受けず芸術家として迎えら評価された。
そこいらの事情は映画ラウンドミッドナイトでデクスターゴードンが好演しているので見て欲しい
(本当の主人公BUD POWELLに替わってデクスターゴードン演ずるサックス奏者のフランス時代が描いてある)
70年代までの20年間多くのジャズメンがヨーロッパに移っていったが、
最後は差別はあっても故郷であるアメリカに多くが帰国した。
アメリカへの回帰。
本来はアフリカへの回帰だろうが、既にアメリカがセカンドルーツとして重要な生まれ故郷であった。
黒人が生み出したブルースを取り入れて、
エルヴィスプレスリーやビートルズはミリオンセラーズを頻発した。
それと共にジャズは低迷していった。
ジャズの世界でミリオンセラーズなんて普通はないことで、一万枚売れればヒット作と言われる。
ここにも自分達が産み出したブルースを使って大金を稼ぐ白人に対して、
黒人の不満が潜在していることだろう。
有名な黒人ジャズメンがその日のライブの主人公であっても、
店の裏にある黒人専用の出入り口からしか出入りできない。
いくらスーパースターでも黒人であれば表口からは入れない。
そんなアメリカにでも年老いれば帰ってアメリカの墓に葬られたい。
これがアメリカ。人種差別の激しい国。
ところがアメリカにいる黒人もアフリカ系黒人にたいしては差別をすると聞いた。
そして黄色人種に対しても差別感がある。
アメリカが日本に原子爆弾を2発落とした。黄色人種に対する酷い差別意識がひとつの要因だった。
平和公園に来て、「こんな公園に爆弾がおちたのは幸いだったわね」という無知な白人も沢山いるのだ。
無知では済まされないこと。米国のおこした無差別大量殺人という犯罪は今生きている米国人たちが受け止め反省し平和のために立ちあがらねばならない。だが、イラクはどうだ?アフガニスタンはどうだ?
であれば、日本はどうなのか。戦前、戦中、日本全てが悪かったという自虐的思考は、誰のせいか。
誰の差し金なんだろうね。ある圧力があって、日本は何でもかんでも悪かった!その結果がいつまでたっても総懺悔・総白痴化の道をつき進んでいるのではないのか。
でも今はネットの発達で本当の事を有象無象の情報の中から拾い上げることはできる世の中。そこに一抹の楽観があります。
今日師匠から教わったサックスレッスン。
それぞれのスケールを吹ける。移調しても間違わずに吹けることが重要。
私の癖として、二つアクセントのあるタンギングが続いた場合、後ろの方がおざなりになりがちということ。
ジャズのンタンタという後拍を完璧にできるまで練習。その後というか並行してというか、ンを吹かずにタを吹いていくなどの練習をする。
スケールの練習と同時にコードの練習をする。この二つです。次回のレッスンまでにはかなりやりますよ!
今日アマゾンからの宅配。CDではなくて本だった。「支援者が成長するための50の原則」俺って真面目過ぎるな〜
本当に学ぶって地味なことなんだな~~今回強く印象に残りました。