ジャズ・テナーサックス奏者4傑 レスター・ヤング
レスターヤング(1909~1959年)チャーリーパーカーなど大物が目標としたテナーサックス奏者
ウィキペディアを参考にさせて貰っています。
Lester Young – Sometimes I’m Happy (HL4-1)
あの恋人ビリーホリデーがブレズの愛称で呼んだ。テナーサックスのプレジデントという意味です。
父親はあらゆる楽器に詳しく幼いころから彼の周りには楽器と音楽が豊富にあるのが普通の環境だった。
一流の音楽家は幼いころからそれに似た環境を持っている人が多い。
まずヴァイオリンを覚え、トランペット、ドラム、サックスと進んだ。どんな楽器にでも共通するものを掴みとってたんだろ。
11歳のときに父親がファミリーバンドを組んだんだが、それで生計を立てるというようなプロ魂を要求されるもの。
黒人差別の激しい南部への巡業を拒んで逃げ出しました。私たちには想像できませんが、黒人を人間扱いしないアメリカで生きるだけでも嫌なことだらでしょうが、特に差別のひどい南部への巡業は相当に辛かったんだね。
1933年にカウントベイシー楽団に入団。人気サックスプレイヤーコールマン・ホーキンスの荒々しい演奏とは対照的な、柔らかく優しい演奏も徐々に人気が出るようになった。
その後フレッチャー・ヘンダーソン楽団にホーキンスの後釜として入団。ホーキンスのような荒々しい演奏を要求されるものの、スタイルが全く違うので厳しい批判にさらされてしまう。
本人の持たないモノを要求されてもそれは応えることのできない無理難題となるだけ。
人気がどんどん出てきたのは、そこをやめ6ヶ月後にカウントベイシー楽団に戻ってからのこと。
カウントベイシー楽団で国家的な名声を得るまでになった。
カウントベイシー楽団の人気とレスター・ヤングの絶頂期は重なっていてレスターヤングの存在の大きさを示している。
1936年から40年までの演奏はアドリブ奏者としての名演奏ぞろいです。
Lester Young, Count Basie – INDIANA
Lester Young – JUST YOU, JUST ME
Lester Young (レスター・ヤング) I Got Rhythm
Lester Young-On the Sunny Side of the Street